- May 2, 2006
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49. 古典的リサイクルの意外な効用
古典的リサイクル……我ながらおかしなタイトルをつけたものですが、ここで言いたいのは要はアレです。コピー機やプリンタから吐き出された片面印刷物の反故(いわゆるウラ紙)をメモ用紙として活用するというもの。
僕の部屋のベッドサイドには、そういった紙が積み上げられて一山を成しています。はっきりとは覚えていませんが、これはたぶん、大学に入ったときにはじめたことです。その種の紙を手にする機会が、それ以前とは比較にならないくらい多くなったから。すべてを丁寧にファイリングするほどの甲斐性もないし、かといって捨てるのももったいないと考えて、ウラ紙でも使おうと思い立ったのでしょう。大学で配布されるものも、こちらから提出するものも、大抵はA4(またはその2倍サイズのA3)に規格が統一されていたということも都合がよかった。
もちろん、普段からノートは持っているし、パソコンを立ち上げているときであれば、そこへどんどん入力してしまえばいいから、激しく消費するということはありません(だからこそ、常にたくさんの反故が積み上げられているわけです)。特に、大学院に入ってからは色々な仕事が研究室の中で完結するようになって、家に置いてあるウラ紙は供給も消費も鈍り勝ちです。しかし、それでもやはり便利なときは便利なわけで、たまにちょっとしたことを書き付けるのに役立てています。地味な活用のしかたですね。
ただ、地味ではあっても、その中で少しだけ心がけていることがあります。それは、ただ積み上げて使うというだけではなく、積み上げてあるものをたまにシャッフルするということ。
不要な紙が新しく出てきたら、それを山の上に乗せる。そして、何か書こうというときには、一番上に乗せてある紙から使う。そうやっていると、いつも最近供給された紙ばかりが消費されて、古い紙はなかなか使われないということになりますよね。
だからときどきシャッフルする。そうすると、一枚めくっただけで思いがけない昔のものが出てきたりして、その印刷面を読むのが非常に楽しいのです(もちろんハズレもありますが、そこがまたいい)。馬鹿みたいだけど、これが「意外な効用」です。いや、でもね、そういう紙の大半は、かつて自分となんらかの関わりがあったもの。忘れかけた目にそういったものがふと飛び込んでくるというのは、なかなか得がたい喜びですよ。
ついこの前は、僕がキリスト教の聖書について書いた英語の文章が出てきた。おぼろげな記憶を辿って考えると、たぶん大学2年生頃(つまり5年ぐらい前)のもの。聖書についてといっても、もちろん全編を参照して作成した大論文などではなくて、旧約聖書の「伝道の書(Ecclesiastes)」を読んで書いたと思われるせいぜい数百語の短文です。最初は授業でもらったハンドアウトか何かだと思ったのですが、どうみても僕の文章なんですよね。
もはや何のためにこんなものを書いたのか不明なんですが、読んでみるとけっこう面白い。内容はあまりにも青臭いので秘密ですが……。英語も下手だし。ま、たかだか数年でそう思えるものなんですね。毎日どんどん馬鹿になっていくような感覚しかないけど、一概にそうとも言えないみたいで安心しました(いや、これは明言を避けたほうが無難か……)。
このブログに書いてある文章も、5年後に読み返したらやっぱりそんな感じなんだろうな。
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